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2011-11-18(Fri)

大腸内視鏡検査

ここ2ヶ月ほど、便通の様子がおかしいので、3年半ぶりに大腸内視鏡検査を受けました。


muben1.jpg
まず、午前中は2時間かけて、この「腸管洗浄剤」を2リットル飲み干します。


以前は「ニフレック」という下剤でした。


「レモン風味」と書かれてるけど、とてもおいしいものではありません。

下剤とわかって飲むドリンクが気持ちいいはずもありません。

通常の水分は腎臓でこしとられて尿として排出されますが、この液体はそのまま大腸を通って尻から出ます。

どんな仕組みか知らないけど、2リットルの洗浄液で体の中を強引に流し洗います。

ペース配分はとなりのおっさんに合わせて飲みました。



IMG_0078.jpg
午後はいよいよこの「内視鏡ファイバー」装置の登場。



右の黒くて長くて堅い棒がカメラ。

これが尻の穴からずっと入ってくるわけ。

信じられる!?


olycolon3.jpg

信頼と実績と話題のオリンパス製ですw


1式1600万円位だったかな。




横になってお尻に注射されて、いよいよカメラは潜入 in ケツの穴。


空気を入れて腸を膨らましながら進むので、便意を伴う腹痛が。



abesan.gif
「いいぜオリンパス、入ってくるのがわかるよ。」


脂汗をかきながら、がまんがまん。


abesan2.gif
(画像と文章は関係ありません)



colonTV4.jpg
腸内の様子はこのベッドサイドモニタで先生と一緒に確認しながら検査が進みます。


時間が20分位かかるので、先生とたわいも無い話も始まります。



「キミの大腸、キレイだね。」

「ウホッ!」

「やらないか?」

「すごく・・・おおきいです」



abesan3.gif




まぁ、検査中は早く引っこ抜いて欲しいと願うばかりな訳ですけども、この検査って阿部さんみたいなヤリ慣れてる人には朝飯前なんですかね?
どうなんですかね。



検査が終わると、腹の中が空気でマジパンパン。

おならで空気を出すしか無いけどなかなか出てこない。


昔は一泊入院して受けるような検査で、検査中に何か見つかったらそのまま切除する事もあるから、入院の用意をしてきてねと言われてたけど、キレイだったのでその必要は無し。



大腸に異常は見られなかったので安心したけれども、便通の調子が良くない原因がわからず、糞食決算という結果で終わりました。
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2011-07-16(Sat)

わたしの、最高の友達

CIMG0367.jpg

僕は5年間、この日を待ち続けていた。

5年前、「お前はガンだ」と宣告された。


「5年間何も無ければ完治、何かあればその時は覚悟を。」



当時26歳。

31歳になった自分の姿など想像できなかった。

しかし時は経ち、5年目の節目となる検査を受けた。

医師から

「異常なし、おめでとう」

と言って貰える結果となった。

主治医は変わったが、苦しかった抗がん剤点滴やそれを支えてくれた日々を思い出して泣いた。




5年の歳月は長い。

「終わってみればあっという間だった」はずが無い。

たった一度の人生において、何度の「5年」を過ごせると言うのか。




総括するつもりなんて無いが、いろいろあった。
いろんな人にお世話になった。
今日まで世話になった人たちに御礼を言って回った。
おかげで今日という日を無事に迎えることが出来たと。
途中で涙が止まらなくなる場面もあった。
本当にたくさんの人に支えられ、応援されて今の僕がここにいる。



僕の後から同じ大腸ガンが見つかって、先に逝った同輩もいた。
同じ病気とさらに長い時間闘いぬき、最後まで希望を捨てなかった母も逝った。
他にも同様の病気で人を送る事はあった。

「死」という圧倒的恐怖と、生きていられる至福。



「ガンとの闘い」には様々なスタイルがある。
進行していく症状に対して苦しい選択を繰り返すことも闘い。
既往歴を持ち、問題無く生活出来る経過観察期間も闘いである。



「病気を恐れるな」

これ無理。怖いって。自分に暗示かけても限界がある。
いつも心のどこかに引っかかるものはあったと思う。



「どうせ最期なら派手に行こうぜ」

こう決め込んで、やりたいことだけを好き勝手やってきた。



「いつ死んでも悔いは無い」

自分に限界を設定せざるを得ないと当初は考えた。
しかし、多くの経験を積むにつれてやりたいことは増えた。
今は少しでも長く生きて楽しいことを全てやり抜きたい。





「もう何もこわくない。」


私はガンとの闘いに勝利しました。

もうガン患者ではありません。

私は今日からフツーの人。THE 一般人。ネジ取れた。

だから、5年間生き続けてきた証であった「ガンと闘う日記」はおしまいです。


命尽き果て、途中で終わることがなくて本当によかった。

これからは、同様の不安の中でガンと闘う方を応援していきたいです。


今まで応援ありがとうございました。
2011-01-21(Fri)

ガンと検査と最後の闘い

大腸がんの定期検査に行ってきました。

造影剤を使ったCT検査。


結果は異常なし。

腎臓に結石が見えるので、今に下りてきたら痛いかも」とのこと。


大きな喜びと共に小さく現実的な問題が下りてきたけども、まぁ良しとしよう。


tensu1.jpg
診療報酬明細書。1点=10円。

これ全部足した3756点を10倍した37560円の3割で11270円が今回の支払医療費。

CEAとCA19-9ってのがいわゆる「腫瘍マーカー」。
腫瘍があると値が上がる。4000円。

最後のべらぼうに高い100ml注射が造影剤。1本2万6千円。
皮下注射して全身に回った頃、CTで放射線を当てて撮影すると、腫瘍があれば白く光る。

注射した後で患者が逃げ帰ると、診療行為として保険請求出来ないので、病院は高い注射一本自腹で払うことになるw



「次が最後の検査だね。」

医師の言葉に感慨深いものを感じた。

発覚から4年半。

半年後の検査が5年目となる。


経過観察要5年。
5年生存率00%。

何かと節目に使われる「5年」という期間だが、節目以外にも告知義務期間などで使われる。

「過去5年間、以下の疾患にかかりましたか」

という項目に、「はい」を選ぶと生命保険に加入できなかったり、ローンを借りられなかったりするのだ。


しつこい保険外交レディーに

「あ、俺ゾンビっす」

って言った瞬間から、声もかけられなくなる。



26歳で発症した当時、

「5年後は31歳、そんな世界は無いかも知れない」

と思っていたが、時間は確実に流れ、年齢は31歳となった。



31歳ガン漂流 (ポプラ文庫)31歳ガン漂流 (ポプラ文庫)
(2009/06/10)
奥山 貴宏

商品詳細を見る


発症する少し前、本屋で偶然見つけた奥山 貴宏って人の「31歳ガン漂流」って本を読んだ。


31歳でガンと余命2年を告げられ、命ある限り最後まで生きようとする筆者の姿を見て、ガン家系である自分もいつか同じ運命をたどるかもしれないと予感した。


筆者は余命宣告どおりに亡くなったが、最後まで闘う姿勢を崩さず、逝去3日前には小説を発売した。


命運は分かれたが、幸運なことに私は元気に生きている。




半年後。


無事にガン漂流生活とおさらばすることが出来たなら、その時には


「31歳 尿管結石漂流」

って本を出したい。

ガンとの闘いに勝利した漢が、体内を漂流する結石がいつ尿道に降りてくるか怯え慄く日々を、等身大の視点から赤裸々に綴った物語。

売れないだろうな。
2010-08-16(Mon)

検査日記

ここ最近、胸が痛むんです。


起き上がるときや、大きく呼吸をしたときに痛みを感じるんです。

以前は歌えたフレーズが、息が続かないんです。

"Go!Go!maniac"だけど。

自転車事故やっちゃってるんで、しばらく放っておけば治るだろうと思ってたのですが、10日経っても治りません。


怖くなりました。



どうにも気になって、仕事切り上げて病院で検査してもらう事にしました。
肺だから内科、最初に大腸がんが見つかって以来の受診です。
レントゲンを撮って写真をみると、送られたデータは「読影医の所見あり」でした。

先生が気にしてくれて、これまで全然肺の検査をやっていないから、CTで精密検査を行いましょうという流れに。



・・・。

この流れ。

4年前と同じだ。

\(^o^)/オワタ-!



病院もお盆で予約が空いていたため、その日のうちにCT検査をして貰えることになって、少し時間をおいて検査をしたところ、

「古い傷跡が残っていてそれが写っており、腫瘍とは認められない。」

という結果でした。


検査結果を聞いて本当に安心したのだけども、最初のレントゲン検査で意見を言われたときには青ざめてパニック状態になりました。



思えば4年前、TCF検査で「病変」が見つかった時というのは、青天の霹靂でした。
翌日、親も呼ばれて主治医になる先生から「がんです」と宣告されたとき、間髪入れず「がーん」と言った覚えあります。
そのまま寝たきり病室に入れられて、検査の連続、手術、通院治療とヘビーな日々が続きました。

入院中、

いつタイムリミットが宣言されるかわからないのであれば、一日一日を最高の日々にしてやる!

と心に誓ったのです。


それからは、いつタイムリミットが告げられても後悔しないような生き方を、そんな闘い方を続けてきました。

人生は一回きり。

泣こうが喚こうが、例え世界の方が先に滅びようがこの事実は変わらないのだから。


他人が老後に海外行脚をするなら自分は今やる。
他人が老後に免許証全取得するなら自分は今やる。
他人が老後にコミケに走るなら自分は今やる。

今が現役であり老後であり、そして人生そのものである。

今日死んでも悔やまないってくらい、全力で生きたいんだ。


そんな覚悟を持ってこれまで闘ってきた・・・

つもりでした。




だけど、今日の検査は本当に怖かった。

もうやり残したことなど無い、いつでもリミット来い、と思っていたはずなのに変ですね。

人生が楽しすぎるんですよ!

生きていることが本当に素晴らしい!

やりたかったことがずっと増えて、さらにやりたいことがたくさん出てくるんです。

素晴らしい人々に囲まれて、まだまだ一緒に行きたいぞって。





で、先の事なんて考えてるうちに「覚悟」がどっか消えたんですね。

ってか、こんな「覚悟」は現実の恐怖が来ないと忘れてしまうんですね。

いつしか自分が闘いを忘れて、他の人と同じように満足して、そして消えていくような、そんな世界に。


いやいや、死んでたまるか!最後まで抗って神になるんだ!消えてたまるか!


難しいこと考えても仕方ない。思考は現実を変えない。

肺CTを4年ぶりにやって異常がなかったことも、大きな副産物だったし。

今はただ健康であったことに感謝して、昨日と同じように生きよう。



昨日と同じ・・・ビックサイト・・・エンドレスエイト・・・

2010-07-23(Fri)

5年目の戦闘開始

今日は胸部と腹部CT検査を行って来ました。

主治医が転勤で代わっていたので、検査終了から結果発表まで1時間くらい待たされました。

「もはやこれまでか?」

と本気で思ったけども、問題なしということでした。



housyu4.jpg



2006年7月、26歳でガンと闘い始めて4年が経過しました。

5年間再発なく過ごすことが出来れば、「完治」としてこの戦闘を終えることが出来ます。

あと一年!



戦闘開始当時、5年後というのがあまりに遠く感じていました。

5年後に世界なんてあるはずないじゃないか、と。

アナログ放送が終了している出はないか、と。

31歳になってるじゃないか、と。

人生の再スタートは2011年7月までお預け。


と思っていた時期が俺にもありました・・・。



気づけば2010年7月。

高校同窓会から

「30歳だよ!全員集合!」

なんてお知らせが届くお年頃になってしまった。


生きていられることが一番嬉しいことです。



ガンと闘っているうちに、野菜嫌いの偏食を克服出来ました。

姿勢が悪く腰痛持ちだったのが治りました。

貧血も完全に治りました。

大きな病気一つを意識しているうちに、他の病気が治って来た気がします。



大変厄介な病気を一つ、悪い人達から貰ってしまったけど。


chese1.jpg
病院の待合室でNHKの「見えるぞ!ニッポン」って番組が流れてた。



違う!違う違う!
こんなのに反応するのは俺じゃない!




comebacks.jpg
カムバック!俺!



この闘いもあと1年!



comeback2.jpg
カムバック!俺!!
2010-01-18(Mon)

3年半目の検査結果

今日は半年毎に受けている定期検査の日でした。

病院は電子カルテに変わっていて、これまでと随分と様子が変わっていました。

CTの画像がこれまでスナップ写真より小さい画像だったのに、一枚一枚がモニタにフルスクリーン表示されます。

今までもこの精度で撮影していたのに、小さな写真で診ていたのは勿体無い気がします。


kensa7.jpg

検査結果は「異常なし」と言うことでした。



普段は必要な事だけ言葉にする寡黙な先生ですが、今日は診察室でいつもと違った話を切り出してきました。


「今年で、4年になるね。」

「・・・。」

「次は・・・3ヶ月、いや半年後・・・って事ででいいのかな?」




先生は新しい電子カルテの画面をただクリックしたりスクロールを繰り返したりしています。


「・・・。」


ガチャガチャ操作の画面には、これまで紙に書かれていてわからなかった事も色々見えました。

今まで一度も言われたことも無かったけど、一番気になったのが

「再発のおそれあり」

という単語でした・・・。

自分でも何となくもうダメかなと思っていたんだけども、そこは非表示にしておくこと出来ないんですかね!?

(電子カルテは何でもキレイに文字で見える分、昔は読めないような字で書いていた事まで見えてしまうのです。)





過去の病歴を振り返ってるのかな、と思いながら暫く先生を見ていたのですが、どうも様子がおかしいんです。


ずっと同じ操作を何か言い出したそうな表情しながら繰り返す先生。

その様子を見て何か会話の糸口でも探そうかとする俺。


1分くらい沈黙が続きました。

そして先生は画面を動かしながら口を開きました。


「実は僕、今年で隣県の病院へ転勤する事になるんだ。」


「はい!?えぇ!?」


一瞬耳を疑ったけども、それよりも脳裏を過ぎったのは、これって・・・

いかにも「告白される」って感じの典型的なシチュエーション!?

リアルでこんな場面に遭遇するとは思わなかったよ!?




先生はその後、凄く照れくさそうな表情でこの病院に来てからの22年間を語りだしました。


22年間も勤続してこっちに住居もあるのに、今更大学の意向で転勤って複雑ですよね。

転勤族が転勤するのとはワケが違うし、こっちには先生を頼って訪れる患者も大勢いるし。


「・・・。診察の件は後任の先生にきちんと引継をしておくから大丈夫なんだけどね・・・。」



こう言われて先生が言おうとしていた事に気がつきました。



「次は半年後検査と言うことは、今日で会うのが最後になるね。」



あ。

そうだ。

そういうことですよ。

今日でお別れって事じゃないですか!?


別れは突然と言いますけど、これはこれで何と言うか・・・たくさんお礼したいことがあって・・・。

でもそんな急に・・・。


普段は話を切り上げてくる先生が、今日は話を引き伸ばしてきてる。

先生と話したいことは沢山ある。文句からお礼まで沢山ある。


今度はこっちが言える言葉が少なかったけども、あまり言葉は必要なかったのかもしれない。


だって、先生の顔がまるで子供みたいになっていたんだもん!
先生、こんな表情みたことないよ!
先生、かわいいよ!



所見だと厳しそうな、とっつきにくそうな表情で怖そうだと勘違いされる先生。

今日はどこか晴れ晴れとしたような、それでも名残惜しいような、そんな先生の表情が頭に焼き付いて離れませんでした。

面白かった!




先生、今日まで本当に色々ありがとうございました。
次のところでも頑張ってください☆
2009-07-31(Fri)

最後の日か

母のいる病院から

「血圧が急低下して危ない状態です」

と連絡が入った。

「上の血圧60、下は計れない」って。


すぐ行ってくる。


しばらく更新ないかもしれません。
2009-07-27(Mon)

命の価値は

午前10時。


「母が昨日の晩から苦しみ始めて、今日は外出出来ないかも」


というメールが妹から届いた。


ああ、マジやばい。
ついに始まったのか。



今日は午後3時から数時間、自宅へ帰宅する約束をしていた。

先週は車椅子から自動車への乗り降りが難しかったので、介護タクシーを見つけて予約していた。

でも、どうやら事情は変わってしまった様子だ。



「外出出来ないかも」の深刻度がいまいちわからないが、数週間ぶりに予定していた私の熟睡を完全破壊するには充分すぎた。

とにかく話を聞いてみると、非常に苦しんでいるようなので、弱い麻薬系の鎮痛剤の投入をお願いした。


ここから先は「痛みをいかにコントロールするか」がカギとなる。

通常の鎮痛剤が効かなくなれば、麻薬系をお願いすることになる。

これなら痛みを大幅に除去することが期待できるが、吐き気や眠気の副作用もある。

(そもそも、胃は切除して存在しないのだから、「吐き気」と言っても胃のある人の感覚とまるで違うだろう。)

吐き気止めと痛み止めを併用して、苦しくないような処方を医師が試した上で選択する。

そして、次第に痛みから解放され、気持ちよく眠気に誘われ、意識は朦朧としていく。





これまでは体が動かず、吐き気などの苦痛から話すこともやっとだったが、意識はしっかりしていた。

これからはどうなるか、やってみないとわからない。



最初は少量から。

連絡によると、一時間程度で効果がきれ、また痛み出したらしい。

連絡だけなので状況はわからないが、ここで自宅へ帰るという選択肢は諦め、介護タクシーをキャンセル。

帰宅は本人の強い希望だが、強い苦痛の中で寝たきりの入院患者を病院から自宅へ移すなどあり得ない。

普通は逆だ。

約束を守れないのは残念だが、事情が事情なだけに本人も一番苦しいことはわかってるだろう。


メールと電話だけでは状況もよく把握できないが、到着したら様子を見て

「タクシーはキャンセルしたから今日は家に帰れない」

ことを告げようと考えながら病院についた。



するとどうだろう。




意識ハッキリ、お目々パッチリで出迎えてくれた。

「やっと家に帰れるよ。待っていたよ。」

と。


どうやら、2回目に投与した別の種類の鎮痛剤が奏功して、昨日からの痛みは緩和されたっぽい。

それはそれで大変素晴らしいことなのだが、想定していた様子とまるで違う。

帰宅できることが本当に楽しみでこの一週間を乗り切って来たっぽい。

何があるわけでもないが、何が何でも自宅に帰りたいようだ。




これだと、キャンセルはしたけどもう一度タクシー呼んで自宅に帰すしかない。



介護タクシーを呼んで貰って、ドライバーが病室まで迎えにくると、いとも簡単に車椅子に乗せ替えて運んでくれた。


先週、四苦八苦していた車の乗降作業がウソのようだ・・・。


ドライバーは自宅のベッドまで乗せてから、また帰りに迎えに来ると言って去っていった。


プロフェッショナルだ。


自宅に着くと、母はとても落ち着いた様子で眠りに落ちた。

眉間にしわ寄せる苦痛の表情が消え、とても穏やかな表情だ。




それでも、元気だった頃からは想像もつかないほど痩せこけた顔のしわを見ていると、これまで歩んできた大変な人生の片鱗がうかがえる。



母は生まれながらにして足に障害を持っていて、みんなと同じように歩くことは出来なかった。

それだけでも、いかほど辛い思いをしてきたか想像に難くない。

そして僕を産んでくれた。妹を産んでくれた。

そして僕たちを育ててくれた。

中学卒業の頃に父が他界してからは、一人で僕を地元の大学を卒業までさせてくれた。

言葉通り「あなたがなければ我々もない」。

当たり前のことだけど、そのことがとても不思議で、奇跡のように感じた。

何よりもありがたくて、ありがたくて、ありがたくて、ありがたくて。 


僕が同じ病気にかかったときにも、根拠のない励ましで全力で支えてくれた。

とても弱い体なのに、とても強い存在だった。

それだけに、今衰弱している母の姿を見るのがとても辛い。


これからもしかすると意識のある時間は短くなるかもしれない。

なんとか意識のある間に伝えたい思いはある。


産んでくれてありがとう。

育ててくれてありがとう。

見守っていてくれてありがとう。

心配ばかりかけてごめんよ。



小学生の文集のような言葉だけど、安楽な顔を見てるとそんな気持ちになって、顔を見てるだけで涙が止まらなくなった。





まぁ、完成品の僕はこんなジャンクだけどね。


ってか、こんなこと伝えたら、まさに「人生のエンディング」じゃないか。
「もうゴールしてもいいんだよ」って言ってるようにしか聞こえない。





暫く寝ていて貰おうと、妹の車を借りて病院へ車を取りにいった。

エンジンかけたら「ALI Project」ばかり流れてきたし。ビックリだ。


やっぱジャンクだ。




しばらくして電話がかかってきた。




「目を覚ましたから、もしかしたら苦しそうなのが始まる気がする」


とりあえず帰ってみると、顔は苦痛にゆがみ、体中から汗をかいて苦しんでいる姿があった。

大急ぎで病院から持ち出してきた「無くしたら法律上ヤバイ系」の座薬を相方に打ってもらった。

即効性はなかったが、あやして落ち着かせているうちに、汗も消えた。



そうこうしているうちに病院へ帰る迎えの車がやってきて、病院へと無事帰った。



animart6.jpg
こういう大きめの車に「自動乗降機」を設置、車椅子から降りずに病院ベッドから自宅ベッドに移動できる。

しかし、普通の車椅子に体の動かせない人を乗せて運んでみると、振動で首が酷いことになった。

車椅子は車体にしっかり固定され、シートベルトもきちんと締めているが、車のシートとは違って頭部支えがない。

頭部までシートのあるリクライニング車椅子か、誰か隣で頭を支えるかしないと気絶しそうなほどダメージがありそうだ。

あと、この会社名はローマ字にすると業種を誤解されるかも知れない。




病院に着いたときには顔面蒼白、結局今回も移動で体力を消耗した。

ここ数週間はほとんど食べない、飲まない、エネルギー補給源がほとんどゼロの体で、全身汗だくで苦しむのだから、相当エネルギーをロスしてるだろう。

いつ頃蓄えられたエネルギーを消費して動いているのか。人間の体は不思議だ。


病院についてしばらくは気を失ったかのようにしていたが、眠りに落ちたようなので帰ろうとすると、再度意識がハッキリして目がパッチリしてきた。


せっかく目が覚めて意識も回復したので、何か楽しみがあった方がいいと思って、

「来週も元気あれば家に帰ろう」

と言ってしまった。


母はますます元気になってまいりました。


こんな状態だけども、本人は「退院したい」とまで言い続けてます。


全身汗だくになるような極めて辛い痛みがあっても帰りたくなるような、そんな何か最も大切なものがこの畳の上にあるのだろう。


これこそ「人生」と言い切ってしまっていいのかも知れない。

それが「人生」なら、いかに苦痛を伴おうとその上で往生して貰うのも「道」かも知れない。

ただ、これほど苦しむ姿を静観することは出来ないし、それをわかってやると「罪」であり「逮捕」なわけだ。



こちらの体力も相当消費してるけど、もう少し頑張ろう。

ドラクエ片手に。
2009-07-26(Sun)

緩和ケア

まず最初に多くの人が誤解を持っていることについて、誤解を解いておきたいのだが、

「緩和ケア病棟」は、末期がん患者がただ死を待つだけの場所ではない。



「緩和ケア病棟」とは、がん患者の疼痛(がんによる痛み)に対して専門的に緩和し、がんによる生活の不都合や病気に対する不安の解消などを目的に、近年各地で整備化されてきている病棟のこと。

主に体に大きな苦痛を与える手術や、吐き気や倦怠感を催す抗がん剤治療を行うことがあまり望ましくないとき、鎮痛剤等を用いてその痛みを緩和してゆく。

別に末期だから利用するわけではなく、がんの初期からでもこれらの悩みがあれば利用できる。

一般病棟には他の病気の患者もいるが、緩和ケア病棟はがん専門の病棟で、専門の医師がつくのでとても安心・便利である。



がん治療中において、継続して痛みがあるときや、それをコントロールしきれていないとき、本人や患者にどうしようもない不安や鬱があるとき、付き添いの人が付き添いベッド等の施設が必要なときなどは積極的に利用を考えればいい。


ところが、「緩和ケア病棟」という言葉を聞くだけで、


「もう希望の無い人だけが入る場所」


という先入観を持っていて、元から拒絶するケースがある。



医療者は利用環境を整備し、周知につとめているが、患者が元から拒絶するようなら使わせる理由はない。

それどころか、患者の先入観によりあらぬ誤解を与えてしまう恐れすらある。

あなただけのために用意したわけじゃない。

より重篤で希望する患者を優先させ、一般的な急性期病床化させるべきでもない。




家族からみると、急性期病棟のドタバタした中にいるよりも、落ち着いた雰囲気の部屋で、水道やテレビ、補助ベッドなど便利な施設が利用できて、専門の医師がいる方が安心できる。

ただ、やはり利用を勧めるには先の医療者と同じくあらぬ誤解を与えてしまう恐れがある。


極めて繊細な時期の心の問題ではあるが、医療者と患者、そして家族の間にはそれぞれ認識の違いが大きくあるようにみえる。



死を待つのみではなく、具体的に今ある苦痛を取り除く専門の部屋として、先入観に捕らわれて拒否するのではなく、利用できるものは利用して欲しいところである。



が、どう勧めていいかわからない・・・。






緩和ケアマニュアル
2009-07-18(Sat)

王さまゲーム

木曜日に引き続いて、今日も母に自宅療養してもらうことにしました。

病院にいれば体位も変えて貰えるし、高機能マットレスで痛みも少ないし、排泄処理(オムツ交換)はすぐにして貰えるし、一応食事も出されるし、もう医療費もかからないので一番楽なのですが、前回帰宅して貰ったとき、

「やっぱり自宅の方が落ち着くから、また帰りたい」

ということでした。


もうここまで来たら、「言うことは全て叶える」方針に決めました。

さぁ、「王さまゲーム」の始まりです。

今日は「自宅に帰りたい」という命題です。



しかしながら、素人だけで寝たきり患者を移動して終始面倒をみるのは極めて難しい。

無理にお願いして今日も相方に来て貰いました。


相方は「リアルナース」です。

仕事ではないのでコスプレはありません。

というか、コスプレ見たこと無いです。

ナース服ばかりの職場にいたので、特に「仕事着」を見たいとは思いません。


医師当直室に誰が持ち込んだかわからぬ「ボンテージ看護婦」なんてアダルトビデオがおいてあったことはありましたけど。


(あの服って作業するために合理的な構造なんでしょうかねぇ。それとも歴史的にこういうモノと決まってナース服は今に至るのか・・・ ナース服論議は中止っ!



とりあえず、帰宅に至るまでの行程だけでも、


1.病院のベッドから車いすに乗る
2.車いすから自動車の座席にのる
3.車で移動
4.自動車から車いすに乗せる
5.車いすで自宅の部屋まで運ぶ。
6.部屋で車いすから降ろす



という段階があって、それぞれ非常に難儀なのです。

特に狭い自動車への乗り降りが最難関。

動けずに固まってる人を、自動車に乗せることなんて、やってみるまで想像出来ませんでしたし。

本当なら「介護タクシー」みたいに車いすごと乗せて移動できる車があれば、この最も困難な手数を減らせるのだけども・・・。




リアルナースは、ホイホイと母を抱きかかえて車椅子に乗せ、移動で痛がらせることもなく、無事に家に用意した座椅子に座るまでの行程をテキパキとこなしてくれました。

自分たちもこれからきちんと出来るようにならねばならないと思って、少しでも見習おうとしてみますが、とても簡単そうには見えませんでした。




それでもずっと暮らしてきた自宅はとても落ち着くようで、しばらくするととてもいい表情になってきました。

途中、あまりに安らかな顔になったので、

「もしかして逝ったか!?」

と思う場面も何度かありました。


そんなとき、相方はさすがプロ。

すぐに呼吸と脈拍を測りだして観測開始します。



「このまま自宅で賑やかな家族に囲まれてなんら苦しまずに意識を失うのも、たいそう幸せなことだろう」

とも思えるような、そんな状況でもありました。


WBC決勝の韓国戦で決勝打を放ち、「イキかけました!」とコメントしたイチローのような幸福感。




今日は相方も用事があったので、その後は自分たちだけでこれらの全行程+管理を行わなければなりません。


「イキかける」ような事があれば、すぐに対応しないといけないし、


何かあったら人数が多い方がいいと思って、烏合の衆に来て貰いました。



言葉を発するのがしんどいようで、あまり言葉を発しませんが、それでも時間が来ると、


「お昼ご飯をみんなに取ってあげて」


と、脳内に刻まれたプログラムによって指令を出してきます。



本当は時計も見えてないはずなのに、不思議なほど正確です。



午後7時。

外出予定は午後8時で、素人だけによる移動のためそろそろ病院に帰ろうとしたら、


「みんなに夕食の寿司を注文して」


と言ってきました。


「もう時間が無いからダメ」とは言えません。

王さまゲームですから。


宅配で用意してくれる店はもう全て終わってて、慌ててスーパーに駆け込んだけど売り切れ、数件回ってようやくタイムセールの寿司を少しだけ見つけて帰りました。


集まった4人に1巻ずつでもいいから、形だけでも「寿司」を振る舞いました。



こんなのは、形だけでいいんです。
食べる振りだけでもいいかもしれない。
それでもいうことを聞かなきゃ気が済まない。
お互いに。



病院に遅れる旨を連絡して、いよいよ初めて素人のみによる「搬送作業」開始。


座ってる状態から車いすに乗せる作業など、自分たちでやってみると本当に難しく、相方の真似をしてるつもりでも痛がられます。

何より、素人の手つきって明らかにわかるから安心感がない。

もたれてる方もさぞ不安でしょう。


何とか自動車に乗せ込み、病院のベッドまで運んで本日の「指令」は終わりました。


前回は

「自宅が落ち着くから、また帰りたい」

と言われましたが、今回は

「移動が痛いから、相方さんのいるときでないと帰りたくない」

と相成りました。


「リアルナースは偉大だ」という結果。




日頃から「介護実習」は必要だと思いました。

プロフィール

kelog

Author:kelog
属性:平壌の虹原を歩くリア充

マチュピチュ with あずにゃん

「ガンと闘う日記」
2006年7月6日、大腸ガンの結腸摘出手術を受けました。当時26歳。
進行度はステージ2(0~4の真ん中)で幸い他臓器転移は無し。
リンパ節への転移もなかったけど、リンパ管の一部からガン細胞が発見されたと病理検査所見あり。

2011年7月16日、無事5年が経ち完治。

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持ってる資格
第一級アマチュア無線技師
総合旅行業務取扱管理者
国内旅行業務取扱管理者
初級システムアドミニストレータ
危険物取扱者乙種4類
無軌条電車運転免許
モールス電信技能認定1級

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運転免許証



本籍(暦) 現在「南鳥島」
北海道紗那郡紗那村大字紗那村字シャナ1番地
北海道択捉郡留別村大字内保村字十五夜萠333番地
北海道根室市水晶島ヲワタラウス1番地
北海道根室市志発島湖島ワッカ1番地
北海道根室市多楽島カカマ1番地
北海道根室市勇留島ポントロモイ1番地
北海道根室市秋勇留島ヲダモイ1番地北海道蘂取郡蘂取村大字蘂取村字ヲワタリ7番地
北海道国後郡留夜別村大字留夜別村字ヒロク濱中アカンコロベ1番地
北海道国後郡泊村大字米戸賀村字オタトミ6番地
北海道色丹郡色丹村字シャコタン7番地
島根県隠岐郡隠岐の島町竹島官有無番地
沖縄県石垣市字登野城2392番地
(↑尖閣諸島・魚釣島)
東京都小笠原村硫黄島
東京都小笠原村沖ノ鳥島1番地
東京都小笠原村沖ノ鳥島2番地
東京都小笠原村南鳥島

沖縄県石垣市字登野城2392番地←イマココ!


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