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2007-07-13(Fri)

手術後1日目

2006年7月13日(木)




手術の後の麻酔からはっきり目覚めた。




気がついたらサイボーグ人間のように、体中が管でつながれてた。





腕には点滴、お腹には腸液が出てるというパック(どこまで刺さってるんだ?)、おちんちんには導尿カテーテル、そして背中には脊椎麻酔の管。





そしてお腹は縦に真っ二つ。




脊椎麻酔が定期的に機械で注入されるから、おとなしくしている分には痛みはない。



でも、体位を変えようとしたり、寝返りしようとするだけで痛い。というか出来ない。




腹筋が全く使えない状態になっている。




現代の「帝王切開」とはこういう状態なのか。





一番困ったのが「咳」。せきをしようとすると、お腹に力が入る。痛くて力が入れられないからせきが出来ない。

しかし、せきを我慢するのは難しい。

さらに最低なのが「くしゃみ」。絶対に出来ない。

鼻がムズムズしてきたりすると非常事態。寝ている間でも飛び起きる。

咳もくしゃみも出来ないから、喉をガラガラするかうがいしてごまかすしかない。咳やくしゃみをするときは、瞬時だが強力に腹筋を使ってるという事に初めて気がついた。




タンを出すことが出来ないので、「ネプライザー」という湿気吸入送致を定期的にやれと言われるが、機械が古くて壊れててロクに使えない。

気持ち悪いから使いたくないのでサボってた。





電動ベッドで起き上がるのがやっとの状態なのに、臓器の癒着防止のために明日から歩けと言われる。

とても歩ける気などしないのだが、人間の回復力は恐るべきもの。

夕方には痛みをこらえながらも体位を変えられるようになり、そして夜。







ベッドから腕の力で直立できるようになった!



自分も周囲の人も驚き。









clara.gif

「立った!立った!クララが立ったよおじいさん!!」







まるで生まれたての子ジカのような弱々しい立ち方ではあるけれども、手術翌日に立つことが出来たのは信じられない。




ホッチキスで留めただけの縦真っ二つに割れたお腹から子ジカが出てきそうだ。




明日はトイレまで歩く練習をさせられるとのこと。尿パックやら腸管廃液パックやら麻酔やら、こんな管だらけで移動など出来るものだろうか・・・。







おまけ:「帝王切開」の語源
http://home.att.ne.jp/wind/alchemist/dict/teiousekkai.html

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2007-07-12(Thu)

手術当日

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2007-07-11(Wed)

手術前日

2006年7月11日。





大腸ガン摘出手術を前日に控え、本日は「背中に麻酔の管を入れる」処置をする日。





脊髄に管を入れるのだから、正直恐ろしいイメージ。





手術室内で入管作業。





細い麻酔の針で、少しずつ周囲から麻痺させていき、管を少しずつ入れていく。




一番始めだけピリリとしたが、その後は麻痺した背中を強引に押されている様な感じ。





20分ほどで入管工事は終了した。





これで、俺の脊髄と定期的に麻酔薬を注入する麻酔器が結合された。





点滴と麻酔器につながれた状態で、もう院内から脱出など出来ない。





脱出どころか、麻酔器の管が抜けたりずれたりしないか心配で、動くのも怖かった。





管が抜けないか心配で夜も寝づらかったです。





明日はいよいよ手術当日。手術は別に怖くないけど、これまで受けまくった検査の結果を手術前に話すと言われていたからそっちの方が怖い。
2007-07-10(Tue)

命の選択を

2006年7月10日(月)




入院5日目の今日は超音波検査と胃カメラ検査の予定。




まずは超音波(エコー)検査。




上半身裸になってお腹にゼリーを塗って、探蝕子を当てて超音波で内臓をみる検査。放射線は当てられない妊婦さんが赤ちゃんの動きを見るときに使われるやつだ。




他の検査と違って痛くも怖くもないし、次の胃カメラに向けてリラックスした時間・・・になるはずだったのだが・・・





検査開始後、暫くすると先生が、


「これまで肝臓が悪いと言われたことはありますか?」



と声をかけてきた。






「え!?これ肝臓の検査!!?」







休み中に携帯webで見ていたサイトの内容を思い出す。




「大腸ガンは肝臓への転移の有無によってその後の運命が決まります。」





今まさに俺の運命を占っている最中だったのだ!!






それに気づいてから、探蝕子がお腹に当たる毎に痛みを感じるようになった。





脇腹や肋骨をえぐるような当て方をしているのだから、痛いのは当然かも知れない。




しかし、その痛み1回ごとに頭上の「死の宣告カウント」が1ずつ減っていく。




検査を終えたとき、俺は大殺界へと降り立っていた。




この時の俺を見かけた人が後日言ってくれたこと。



「あの時、顔面真っ青になって立っていたから、何かあったのかと思ったよ。」





その場で検査レポートを書かれたのに、内容は全く知らされず、顔面蒼白のまま次の胃カメラ検査へ。





土日の間、胃カメラ検査が怖くて悩んでいたことなどすっかり次元のはざまへ吹っ飛んでいた。





胃カメラの検査室ではまず胃の泡を消す薬を飲まされ、首を上にむけてキシロカインゼリーというゼリー状の麻酔を口に含み、それを飲み込むか飲み込まないかの辺りで貯め、5分間我慢する。これを2回繰り返す。




思わず飲み込みそうになる。唾液も出てくる。麻酔だからしびれてくる。かなりしんどい。2回目なんて口がしびれて我慢できる気がしない。




この頃から、隣の検査室から阿鼻叫喚が聞こえてくる。




「ウゲゲェエエ!!」「ごぇぇえええぇえ!!」





さっきまで隣にいた人が呻き声をあげている。




raoumasui.jpg





戦慄。




肩に注射を打って胃の動きを抑え、いよいよ検査室へ。




マウスピースを咥えたところで、鎮静剤の注射を打たれた。




そこからはよく覚えていないが、気がついたら検査が終わってた。




胃の中の画面を見ていたような、先生が突っ込んで抜いていたような、うっすらとした記憶はあるがハッキリと覚えていない。




鎮静剤のおかげで、何の苦痛もなく胃カメラ検査が終わった。




その後はフラフラになっていたので、師長さんに車いすで迎えに来てもらった。




初めての胃カメラ体験、よくわからぬ間に終わった。





それにしても、レントゲンに造影剤CT、脳MRI,骨シンチグラフィ、超音波検査、生検、胃カメラと山のように検査を受けたのに、一つも結果を言ってくれない。




結果はその場でわかってるはずなのに、どうして何も言ってくれないのか不満が募る。





言えないのか言わないのか。言ってはならないルールなのか余計な事は話さない主義なのか。自分の運命は決まっているだけに、何にも伝えられないのはただ不安が募るばかりだ。





先生を病棟で見かける度に聞き出したいと思うのだけれども、怖くてこちらからは切り出せない。



今はあの人だけが俺の運命を知っている、と言った感じ。





今日の予定は午前の二つの検査だけ。明日は手術のために麻酔の管を脊椎に入れるという、これまた怖いイベントが待っている。




相変わらず恐怖の日々が続きます・・・。

2007-07-07(Sat)

死兆星のミルキーウェイ

2006年7月7日(金)




入院3日目。



朝は軽く骨核医学検査(骨シンチグラフィ)から。



もう検査も注射も慣れた。朝メシ前と言った感じ。(ずっとメシ食べてないのだが。)



放射性同位体(アイソトープ)を注射してしばらく待って、「15分間寝そべって動くな」という検査は意外と辛い。



動いたら写真がぶれちゃうけれども、人間の体は自然に動くように出来てるのだよ。



ゲームに出てくる釣り天井みたいなのが、鼻に当たるギリギリくらいの高さまで迫ってくる。MRIに続き、閉所恐怖症発症か?




20分くらいで骨シンチ検査は終わり、今度は午後の検査のために下剤(ニフレック)を飲まされた。



その量なんと2リットル!!



ポカリスエットが混ぜられていて、一応飲みやすくされているみたいだけれども、フードファイターじゃあるまいし2リットルの清涼飲料水なんてそう簡単に飲めるか!



しかも、下剤だとわかって飲むんだぞ!!



これはイニシエーションだと思って、湯飲みに一杯ずつ飲んでいったが、始めは勢いよくても1リットルも飲めば限界。



だんだんぬるくなってきて、気持ち悪くなってくる。



清涼飲料水なんてぬるくなれば気持ち悪い液体。アリも寄ってくる。しかもコイツは下剤。



そして、途中からは便意に襲われる。

kusmis1.jpg




2時間かけてようやく飲み干したら、コップ一杯追加が来た。



コイツは特別に濃い!




下剤とポカリスエットの粉末が飽和しきっていて溶けきってない。ドロドロ。気持ち悪いの100乗!



鼻つまんで一気飲み。酒よりつらい。



底に溜まったドロドロはもはや飲める物ではなかったので看護婦さんに見つからないように捨てた。



下剤とトイレの繰り返しで午前を過ごし、午後三時に検査に呼ばれた。




検査着に着替えて、尻にカメラを入れて、少し入ったところで先生のPHSが鳴った。



さすがにこんな検査中だから電話に出ないだろうと思ったら出た。




そして、尻にカメラを刺した俺を残してどっか行った。




ポポポポポ( ゚д゚)゚д゚)゚д゚)゚д゚)゚д゚)ポカーン…




アルテマ級の放置プレイを食らった!




10分くらいで戻ってきて検査再開。



今回の検査は生検を兼ねている。



つまり、カメラと一緒に入ってるハサミで病気を少しちょん切って、カプセルに入れて持ち帰るという怖いイベント付き。


切る瞬間は映像から目をそらしてしまったが、ガン組織には神経は無く全く何も感じなかった。



大腸壁にカメラが当たる度に腹をえぐられるような痛みが起こる。




看護婦さんは「大丈夫?」っていってくれるけど、全く大丈夫じゃないですよ。



でも、その答えは「大丈夫です」以外にないです。後は言い方に演技を込めるくらいしか抵抗できませんよ。


「だ、だいじょう・・ぶ・・・ここは、俺に・・任せて・・・にげて」





怖かった検査も終えて病室に戻ると、またもやおなら連発。




先日もそうだったが、このTCF検査の後は1時間くらいおならが止まらないのだ。




そこへ何と、次々とお見舞いの方がやってきてくれた。



しかも院長先生、副院長先生、事務長さん、看護部長さんらお偉方が次々と。




お、オナラとまらねぇ!!!オレテラヤバスwwww




大変嬉しいのだけれども、よりによってこのタイミングとは!!



これ、マダンテ級の羞恥プレイですよ!!




金曜の夕方だし、お見舞いにはちょうどいいタイミングだったのだろうけれども、TCF検査の後はどうしても我慢のできないガスがあるわけでして・・・。




ダメージ食らったの俺なのにこっちのマジックポイントがスッカラカンになりました。



ちなみに、HPという概念は超越してます。頭の上に10から数字がカウントダウンされてます。死の宣告に対してはいくらHPが残っていても意味ないです。





これでこの週の予定は全ておしまい。後は翌週月曜日に初めての胃カメラ(ドキドキ)と、超音波検査をやると言われた。




病院は土日休日だが病気は月月火水木金金。土曜も日曜もありゃしないので、余計な転移をする前に一刻も早く取り除いて欲しいところだ。



手術は12日の水曜日に決まって、後は天に祈るのみ。




天に祈ると言えば今日は七夕




満点の星空も、今は死兆星の大群に見える。
raou.jpg





どこまで進行しているかわからない致死性の病気不安を抱え、土日を正気で過ごすことなど出来るのだろうか。




せめてこれまで受けた検査結果で「異常なかったよ」くらい一言言ってから休みに入って欲しかった・・・。
2007-07-06(Fri)

ガン宣告

2006年7月6日(木)



検温で目が覚めると、HCUから病室に移された。


ナースステーション真横の意識不明や寝たきりなどの重症患者用の部屋に入れられた。


ここに入れられると言うことは、俺は相当ヤバイのかも知れん。




朝10時、母親が到着し主治医となるX先生の外来で説明を受けた。






高鳴る鼓動、緊張の瞬間、代打初球逆転サヨナラ場外満塁ホームランの奇跡は起こるか?






医師が説明に入る。



昨日撮ったレントゲン、内視鏡カメラの写真を並べ、腫瘍から出血していることが告げられた。






「生検取ってみないと確定できないけども、大腸にこんな大きな腫瘍が出来るのは、悪性だろう。」









ホームランどころか全てシナリオ通りの空振り三振だった。









遠回しの表現にガン宣告と気づかなくて、夜中に用意していた一世一代のセリフ「ガーン」発言が出来なかった。不覚。





「明日、もう一回透視注腸検査(大腸内視鏡ファイバー)と造影剤CTと、骨検査をやるから予約入れておくぞ。他に診て欲しい検査ある?」




「俺、頭おかしいから脳のMRIもおながいしまつ。」




「わかった。」




(わからないでください・・・)




「午後に脳神経外科に紹介しておくから。」







ということで、「ガン宣告」をもらった診察は終わった。

「あなたはガンです。」

「ガーン!!」

が出来なかったのが一生の不覚。

だって、「悪性腫瘍」なんて言葉を使って、「ガン」だなんてなかなか言わないんだもの。気づかなかった。やられた。






午後になって脳MRI検査を受けた。


「怖かったらこのバルーンを握ってね。」とバルーンを渡された。握ったらどうなるというのか。


ドラム缶より狭いと思われる狭い空間に閉じこめられる。


「閉所恐怖症」という言葉の意味が理解できた。


壁に囲まれた状態は怖い!!暴れたくなる。


目を開けていると怖いので、目を閉じて黙想することにした。


検査が始まると、「ガンガンガンガンガン!!」という轟音が響き渡り、黙想が破られる。


バケツかぶせられてバットで殴られてるイメージ。


始めは規則的に音がしていたが、次第に不意打ち乱打になってきた。


20分くらいして脱出させられたので、検査が終了したかと思ったら医者がやってきて造影剤の注射を打たれた。


そしてまたドラム缶の中に入れられる。


続き15分くらいで検査終了。


正直、もうどうにでもしてくれって感じ。



MRIがこんなにキツイ検査だとは思わなかったが、いい体験になった。



その後、寝たきり病室へ戻って携帯で大腸ガンについてのサイトを探した。


使える情報ツールは携帯しかない。



始めに見つけた携帯のサイトには、おおよそ次のようなことが書いてあった。




大腸ガンの予後は肝臓への転移の有無によって決まります!


ステージ0・・・粘膜層に出来る小さなガン。内視鏡で切除可能。
ステージ1・・・大腸壁に留まっているガン。内視鏡で切除可能な場合もある。
ステージ2・・・大腸壁を越えているが、隣接臓器におよんでいないもの
ステージ3・・・隣接臓器に浸潤(しんじゅん:周囲に拡がること)しているか、リンパ節転移のあるもの
ステージ4・・・腹膜、肝、肺などへの遠隔転移のあるもの




別のサイトには、

大腸ガンは他のガンに比べて予後のよいガンです。大腸壁に留まっている場合には内視鏡手術によって取り除くことも可能です。

大腸壁を越えている場合には開腹手術により切除することで完治が見込めます。

リンパ節転移のある場合でも、リンパ節ごと切除することにより完治が見込めます。



転移していてもあきらめない!






希望に満ちた言葉も並んでいたが、まとめると、転移していたら終わりってことでおK?






転移の有無を調べるためにこれからさらに検査が続く。嗚呼おそろしや。





メシ抜きも3日目になってくるとさすがに食べたくなる。点滴だけでは栄養にならん。



この病院は半年前から給食メニューが選択できるようになったのだが、食事なしの俺には縁のない話だ。こん畜生。アミノフリード(点滴の電解質溶液)とか選ぼうか。




食事どころか、明日のTCF検査のために夜下剤を飲んで寝てくれと言われた。



何も食べてないのにウンコ怖くて今日も眠れないお・・・ξミヽ(・∀・)ノξ
2007-07-05(Thu)

そして入院へ

2006年7月5日(水)



前日からの出血は朝になっても止まらなかった。


一応職場へ出勤、仕事中気になってトイレに行ったがやはり血が出ている。


これはさすがにヤバイかも!?



職場の上司に相談すると、

「ちょっっっおまっっっそれテラヤバスwwwwはよ病院逝け!1!1!!」

と(言う趣旨の事を)言われた。



自宅の近所に最近まで週5日ペースで4年ほど通院していた病院があるのだが、よく知ってるだけに恥ずかしい。


何せ、「尻から血が止まらない」のだから。


でも、通院するなら一番便利だと思い、名前を名乗らずに電話相談することにした。




「あのー、午後から診察ってして貰えますかね?」


「午後は先生一人しかいませんけど、初めての方ですか?」


「初めてといえばこんなの初めてだし、そちらの病院は初めてではないのですが・・・」


「どこか具合が悪いのですか?」


「あの、その、えっと、ですね、尻から出血が止まらないのですが・・・



「もしかして○○くん!?」



恥ずかしいこと告白した後に特定された!



尻から血が出てる人は俺だとわかるんですか、ああそうですか。

(多分声か話し方でわかったんだろうけれども。)





病院に予約が出来たので、仕事は午前中で切り上げ、出血大サービス中に付き自転車を手で押して病院へ向かった。




診察室で待っていたのは内科のZ先生。頼りになるのか頼りにならないのかわからないが、とりあえず血液検査と検尿、検便、レントゲンを撮ってくるように言われた。


検便は便意が全くないので無理、他の検査をやってレントゲン写真を見ながらZ先生は、


「肺の回りにガスが貯まってる。食中毒かもしれない。」



と言って、点滴をつないでしばらく診察室で休むことになった。



(この点滴が抜かれたのは3日後。この瞬間から外に出られぬ拘束具となった。)




やはり予想通りの食中毒か、なんて思いながら友人らにメールを送っていると、内科長のY先生がやってきて、

「こんなところでどうしたんだ?」

と声をかけてくれた。




さっきのZ先生とY先生が話をし出した。しばらくするとY先生が


「無理にでも便を出してくれ。」


と言って、浣腸を指示した。




トイレではものすごい勢いで血まみれの溶解物が出た。


普段なら目を背ける物体だが、どうやらこの物体の中に俺の運命がかかっているらしい。すぐに検査に回された。




で、検査結果はすぐにわかって再度Y先生に呼び出された。




「食中毒かと思ったけど、便の中にばい菌がいない。血液にもいない。ケツにカメラ突っ込むぞ。




ウホッ!?そろそろ想定の範囲外の事態だぜ?



言われるとおりに内視鏡室に行き、大腸カメラの準備をして、何度か注射を差されて尻からカメラが入れられた。



もちろん初体験。処女喪失。



このカメラでは結局出血の原因らしきものは見あたらずに終了。



次に、内視鏡ファイバーを使った「透視注腸検査(TCF)」という長いカメラを使った検査に回された。



今度のは長い!1m以上ある!



再度浣腸。「ああ、次はションベンだ。」


浣腸だらけでユルユルになったお腹ではトイレから離れられない。最後の便を済ませ、尻に注射を打たれ、尻だけ穴の空いたパンツに履きかえて検査台に横向きに寝かされた。



「じゃ、入れるよ。(はぁと)」



再度の処女喪失(?)は堪えられない物ではないが、腹の中に異物が入ってくるのがわかる。



腸壁にあたると、まさに腹の中からえぐられているという感じがする。



先生が「入れて入れて入れて、抜いて抜いて抜いて」と指示をする。



これなんてエロゲ?






先生は自分で抜き差ししているわけではないらしい。誰が入れているのかわからないまま、俺はずっと映像を見ている。



とにかく、早く抜いて欲しい気分であるが、ここは踏ん張って原因を見つけて欲しい。貞操奪われ損では済ませられない。



大腸の奥までカメラが到達したとき、



「ここが一番奥だよ。」



と言われた。



検査の折り返し地点を意味しているのか、興味を惹起しているのかわからないけれども、浣腸だけでは奥の方の便は取れていなかった事はわかった。



カメラの戻り道、先生は異変に気づいた。



赤く染まっている部分と染まっていない部分の境界線が見つかったのだ。



カメラから水を噴射して便をどかすと、その下から出血部分が現れた。



そこは、白くてもっこりしていた。




先生が、



「ああ、この病気から出血しているみたいだね。」



と言ったのを聞いて、これはヤバイと思った。



隠喩を使った説明、白くてもっこり・・・ガンじゃねーか!



以前、母親の大腸ガンを同じように見たことがあって、その時の贓物の様子を思い出した。こんなタンコブみたいな物が無限増殖して人間様を死に至らしめると言うのかと思うと憎たらしい。




それでも、違う病気だってあるかもしれない!俺が知ってる病気なんて病気のうちのほんの一部だけなんだ!こんな年齢でガンだなんてありえないよ常識的に考えて!!




尻にカメラを突っ込まれている事も忘れて希望的観測を必死に描いていたところに、とどめの決定打発言がでた。




「X先生(外科長)呼んで。」





俺マジ\(^o^)/オワターー






大腸腫瘍の外科手術=大腸ガン決定!!
゚・*:.。..。.:*・゜ヽ( ´∀`)人(´∀` )ノ・゜゚・*:.。..。.:*





このX先生コールが実質的なガン告知でした。




しばらくするとX先生が現れ、Y先生と話し出す。

Y先生「この病気から出血しているみたいなんですよ。」
X先生「ああ、そうですか。」


別に何も隠さなくていいっすよホント。諦めるときは諦めるっすよ。




便の色が変わってる境界線を見つけて出血元を探り当てたY先生の技術は神業だと思ったけれども、点滴をつながれケツカメラで脳内ガン宣告状態の俺には何をどう考えていいのかわからなかった。


他に出血箇所がないか、カメラを抜きながら調べて検査が終わった。僕の安穏な人生も終わった。




先生から一言



「こりゃ、入院だな。血が止まるまでメシ抜きだな。次に食べられるのはいつになるかわからんぞ~」



と言われ、そのままご入院。



内科から外科への紹介状をもらったが、そこには


「腸内にて出血が認められました。食事は取れませんので点滴管理をします。」


と書かれていた。




入院の準備をしたいから、せめてすぐ近くの家に帰って荷物持ってきたかったのに、点滴という拘束具がそれを許してくれなかった。



短い距離でも点滴棒を引きずりながら道路を歩いたら目立ちまくる脱走兵だ。



身の回りの世話は点滴拘束中につき自分では出来ないので、周りの人にお願いすることにした。



そして、TCFの検査の後は1時間以上おならが止まらない。大腸に空気が大量に入れられたようだ。



看護婦さんに、「明日先生が外来で説明するけど、家族の方とか来れるかな?」と聞かれた。



あああ、俺マジもうダメだ・・・。


99.999%ガンだよぉ。


なんでこんなことになっちまったんだよぉ。





入院してなお重病の実感もなく、おならが止まらない以外の事実を受け入れられない状態でHCUの病室の天井を眺めていた。




この光景、エヴァンゲリオン第2話「知らない、天井」と同じだななんて思いながら。




何で僕はこんな所にいるんだろう。



もしかすると人生の一大分岐点になるかも知れないなんて薄々考えた。



せめて明日の先生の説明がプロ入り初打席代打初球逆転サヨナラ場外満塁ホームランにでもなることを祈りつつ、友人らにメールを送っていた。






さすがにいろんな事がありすぎて、この夜は寝付けなかった。




「夢ならそろそろ醒めて欲しい。」

「何とか看護婦さんの隙を見計らって脱出出来ないか。」

「DS脳トレのハンコが今日の分押せないじゃないか。」


「ガン告知のされるんなら「ガーン」のセリフで一世一代の演技を決めてやるぞ。」







Z先生の診察で終わっていれば、この時こんなに苦しむことも無かったかも知れない。



今生きていなかったかも知れない。




1周年ということで、しばらく続けます。
2006-08-29(Tue)

入院中のこと6 そして退院へ

管が少しずつ抜け、腰のドレーンも蓄尿も終わり、点滴が抜けるようになると、食事ももう易消化食というおかゆメインの形ある物に変わってきました。

そして、退院の日も迫ってきました。


退院の前には土用の丑の日だといってこっそりウナギを持ち込んだり、果物を食べたりしてすっかり元気です。


退院前日、主治医と今後の治療方針を話し合うことになりました。


そこで、検査の結果を話すと言うのです。


浮かれていた俺はまた戦慄に襲われました・・・。


で、今後の方針。

・ガンは今のところ大腸にできた物だけで、他への転移はない。
・大きさは3cm×4cmで、ステージで言うと真ん中の2。
・統計データによる5年生存率は80%程度
・病理検査の結果、100カ所のうち2カ所からガン細胞が見つかった。リンパ節転移はないが、リンパ管にわずかにガン細胞が流れている可能性があるが、本当のところどうなのかはわからない。
・念のため半年間は抗ガン剤治療を受けた方がよい。
・2年間は再発防止のための厳重注意期間。3ヶ月に一度検査して、再発がないか確認しなければならない。それが過ぎたら半年に一度の検査でよい。
・5年間再発無く過ぎれば完治の目安となる。そこから先この病気が再発する可能性は極めて低い。



と言った内容でした。

5年生存率80%というと、高いのか低いのかわかりません。

何せ命が代償ですから。


確率的にはロシアンルーレット以下です。
(6回に1回は死ぬ。生存率83%)


俺は5年後、レボルバーに5発玉が入る拳銃でロシアンルーレットをやらなきゃいけないようなものなのだお(^ω^)(違うと思う)


80%の生存確率を少しでも上げるため、

・規則正しい生活
・ストレスの無い生活
・バランスの取れた食事
・無理な運動はしない

ことを心がけるように言われました。


これまでの生活を振り返れば、ストレスはそれほど無かったものの、他はダメダメです。


特に食事。

野菜嫌いなのです。
殆ど野菜は避けてましたから、これを機に食生活を変えないといけないよ、とみんなに言われました。

まったくその通りです。


そこで、栄養指導を受けることになりました。


栄養指導を受けるに当たり、真剣に話し合おうと準備をしました。

・いくら野菜を食べようと思っても、食べられない野菜は食べられない。
・食べられないことを前提に代替野菜で栄養素を補えるのか。(キュウリの代わりに何を食べればいいの?)
・量的にどれくらいの割合で食べればよいか。
・野菜ジュースは野菜の代わりにならないか。
・果物で繊維など補うことはできないか。
・青汁など健康食品はどうか。



などなど、これから気をつけねばならない注意点を紙にまとめて、質問することにしました。


意気込んで指定の時間に栄養相談室へ向かうと、そこには・・・





誰もいませんでした・・・。




すっぽかされた?




10分位して管理栄養士登場。



あ!

昔ケンカしたことのある・・・




でも頼れる人です。

「野菜は頑張って食べましょう!頑張らなくてもいいから食べましょう!」



やっぱ俺のこと嫌いなんだウワーンヽ( ´Д`)ノ (うそ)


一番話しやすくて経験もある方です。
2時間にもわたって親身に相談に乗ってくれました。

・キュウリは白物。白物だからナスとか白菜を食べれば同じ栄養がとれるから、キュウリがダメならそっちでいいんだよ。
・栄養補助食品も効果的。病院でも使ってるおすすめなのをカタログあげるね。
・食品交換表というのがあるから、グループのうちで得意な野菜だけ食べてても栄養はきちんと取れるよ。
・量は一日の標準が・・・くらい。(少ないなぁ)
・野菜食べるの難しい日は野菜ジュースでもいいんだよ。



と、疑問なことに答えてくれました。とても安心です。

好きなものばかり選んで食べてる生活に、ちょっと気をつけて野菜を選んでみるだけでいいそうです。


さらに、一人暮らしの息子にあげるはずだった簡単料理の本とか、いろんな栄養に関する資料をくれました。ありがとうございます。


これからはバランスよく食事を取るように心がけたいと思います!



(そう誓いながら、退院して真っ先にうどん屋、天下一品ラーメン、100円寿司屋を回って、その夜消化できずうめき苦しんだのは愚者の行動でした。

病院食(易消化食)ならなんでも食べられるし、果物だってウナギだって黙って食べたけど平気だし、俺若いからもう回復して何食べても大丈夫という、退院した喜びに病気すら忘れたかのような過信がありました・・・。

病院ではいかに上手に管理された物を食べていて、健康を保っていたか思い知らされました。)



後日、王監督も同じ過ちをしていました。
王監督と同じ日に入院して、王監督より少し先に退院した俺。

入院中は断食と寂しい食事。
退院したら、いつも食べてたものを食べたい!
十分気持ちがわかります。




入院日記の最後に、頼もしく励ましてくれた母さんやいつも来てくれたさん、お見舞いに来てくれた人みんなと、病院スタッフの方々に心から感謝したいです。


二度と入院しなくてよいように、頑張って治療続けます。
2006-08-29(Tue)

入院中のこと5 手術後

手術して一夜が過ぎました。
本当の戦いはこれからです。


手術自体は何も苦痛はなく、今回は応援してくれた人のおかげで一抹の不安もなく無事終わりました。

術後一日目、サイボーグのごとく管だらけです。
点滴、導尿カテーテル、背中の麻酔の管、腸直結ドレーン。

腹は綺麗に割れて、ホッチキスで止めてあります。
腹筋も半分に切れているため、全く使えません。


体位を変えるだけで体中が痛みます。
それでも背中の管からの定期的な麻酔注入で、傷口の痛みは動かなければそれほどありません。

看護師さん曰く、
「術後合併症予防のために明日には立って、明後日にはトイレまで歩いてもらうよ。スパルタだからね。」

ですって。キビシー!

寝返りすら出来ないときに、明日から立ったり歩いたりって、出来る気がしませんでしたが、人間の回復力は驚異的で、その日の遅くには立てるようになり、翌日には軽く歩けるようになりました。

どんな痛みが来るかわからず怖かったけど、痛みから守ってくれていた背中の官も抜かれました。
導尿カテーテルも抜かれて自分でトイレに行かなければならなくなりました。
自分でトイレまで移動しなければいけません。


麻酔の管を抜けば傷口は当然痛むので、定期的に座薬で痛み止めをしてもらいました。


このとき、一番辛かったのは咳ができないこと。当然くしゃみもできません。

これは腹筋を使うからで、痛くてとてもできる状態ではありませんでした。

それでも、たまに咳をせずにはいられない状態に追い込まれます。

水も飲めない間は、うがいをしたり息を強く吐き出したりと、喉をかきむしりたくなるような衝動を抑えて耐えたものでした。



夜寝ている間でも咳がしたくなると飛び起きます。

非常事態発生!

電動ベッドでゆっくり座位になって、ゴリラのような声をだして喉のかゆみを取ります。

一度咳をしたくなると、咳をしない限りスッキリしないので、なかなか寝付けません。

夜でも昼でも、いつでも突然やってくる咳の非常事態には一番苦しみました。




それから、お見舞いの方々にもいつも苦しませて貰いました。

腹筋が痛くて笑えません。笑うと傷口が開きそうです。

そこへ一発ネタを持った刺客が次々と現れました。

食べ物は食べられないと言ってるのに果物を持ってきてくれた方

「これは食べ物なんか!?うへへへへ~グッチョグチョに潰して喰うとうまいぞウヒヒヒ」


天然系はマジでキツイです!


DS脳トレーニングで単語記憶2個とか脳年齢65歳とか1×1=2と書いて反応しないと悩んでいた方。



誰か私を、助けてぇぇ!!


お腹割れて人数数えの人がポコポコ出て行きそうです。



お見舞いに来てくれた人本当にありがとうね。


手術も終わって元気になって、計画通り術後回復してくると、頭に思い浮かぶのが食事。

なんでもいいから食べたい。



今まで何日断食してきたことだろう。



術後5日目から食事が出てきました。


嬉しくて涙がでそうでした。


やっと喰える!


人間らしい物が喰える!


点滴だけに栄養を頼る生活はおしまいだ!


「はい、お久しぶりの食事ですよー」


食事が運ばれてきた!


わーい!!


まだ品数は少ないが、それでも口に入れられるなら幸せ!



夢を膨らませて食器の蓋を開けてみた。




すると・・・




ryuudou.jpg



中身がない?



看護婦さーん!カブトムシの食事と間違えてますよー!!



でも、食事には俺の名前が書いてあるし・・・


食事を間違えてるのか?
名札を間違えているのか?
同姓同名のカブトムシがいるのか?
それとも実は俺がカブトムシなのか?



具のない汁と重湯と練り梅だけですか!!



期待が大きかった分、失望も大きかった。



入院前、最後に食べた食事が

ise.jpg



こんなのだったからなぁ。伊勢エビと伊勢うどんとエビづくし。

ギャップが激しすぎ。


と、まぁ食事は少しずつグレードアップして(おかゆまでだけど)、痛みも少なくなり、傷もきちんとふさがって、順調に回復していきました。
2006-08-29(Tue)

入院中のこと4 解放と手術

手術当日を迎えた。

たくさん受けた検査の結果は一つも教えてくれてない。

手術はまな板の上の鯉。気がついたら終わっているのだから怖くはない。

だが、検査の結果は俺の運命そのもの。

看護師が優しく、

「何か不安なことはないですか。」

と尋ねてくれるが

「検査の結果のみ。他に不安はない。」

としか答えられない。

看護師にこんなことを言ってもどうにもできないことはわかっている。

だからもっと他の、日常生活の事とか答えてあげればよかったのだが、そこまで気を回す余裕がない。




人生を賭けた最終問題

「あなたは、まだ生きることができるか。」

みのもんたに聞かれ、

「できる」
「できない」

しかない選択肢の中から、消去法で「できる」と答え、「ファイナルアンサー」


俺は5日間みのもんたににらまれている状態。

相手は答えを知っているがださない。

こっちは祈るのみ。


だが、手術当日の朝になって、今日の午後(つまり手術前)、みのもんた先生から検査と手術について説明がありますといわれた。


運命のファイナルアンサーはいかに!?




人間とは勝手なもので、教えてくれない時にはイライラしていたが、慣れてきた時には、逆に教えられるのが怖くなった。


何も考えない。祈るしかない。


午後1時、いよいよ説明に呼ばれた。
おそらく、顔は引きつっていたことだろう。



先生はまず一言

「いろいろ検査したけど他に異常はないですね。今のところ大腸のその病気だけだから、これから切除して、細胞を病理検査にだします。」

「ヤター!!!
ヤターよ⊂二二二( ^ω^)二⊃ブーン!
結局なんでも⊂二二二( ^ω^)二⊃ブーン!
も一つおまけに⊂二二二( ^ω^)二⊃ブーン!!」



人生でもっとも
⊂二二二( ^ω^)二⊃ブーン
な瞬間だった。

こんなに嬉しいことなんてなかったのではないか?


俺はまだ生きられる!
生きていてもいいんだ!
ここにいてもいいんだ!(発展)




手術は前日から麻酔のための管を背中に入れてあるし、点滴もしたままだから全く痛みもなし。

スタッフと懐かしい話でだべっている間に全身麻酔で意識を失い、気がついたら終わってました。

執刀医(主治医 =みのもんた)の顔すら見ませんでした。


術後すぐは導尿カテーテルで尿がうまくでないこともあって焦ったけど、入れ直して離尿剤打って貰ってきちんとでました。

記憶があやふやな時間ですが、周りで見守っていてくれた人のことは覚えてます。本当にありがとう。
うがいが気持ちよかったです。

おかげさまで乗り切ることができた俺は、異常なしの検査結果を聞いて安心してぐっすり眠ることができました。

運命の一日でした。
プロフィール

kelog

Author:kelog
属性:平壌の虹原を歩くリア充

マチュピチュ with あずにゃん

「ガンと闘う日記」
2006年7月6日、大腸ガンの結腸摘出手術を受けました。当時26歳。
進行度はステージ2(0~4の真ん中)で幸い他臓器転移は無し。
リンパ節への転移もなかったけど、リンパ管の一部からガン細胞が発見されたと病理検査所見あり。

2011年7月16日、無事5年が経ち完治。

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持ってる資格
第一級アマチュア無線技師
総合旅行業務取扱管理者
国内旅行業務取扱管理者
初級システムアドミニストレータ
危険物取扱者乙種4類
無軌条電車運転免許
モールス電信技能認定1級

11syu2.jpg
運転免許証



本籍(暦) 現在「南鳥島」
北海道紗那郡紗那村大字紗那村字シャナ1番地
北海道択捉郡留別村大字内保村字十五夜萠333番地
北海道根室市水晶島ヲワタラウス1番地
北海道根室市志発島湖島ワッカ1番地
北海道根室市多楽島カカマ1番地
北海道根室市勇留島ポントロモイ1番地
北海道根室市秋勇留島ヲダモイ1番地北海道蘂取郡蘂取村大字蘂取村字ヲワタリ7番地
北海道国後郡留夜別村大字留夜別村字ヒロク濱中アカンコロベ1番地
北海道国後郡泊村大字米戸賀村字オタトミ6番地
北海道色丹郡色丹村字シャコタン7番地
島根県隠岐郡隠岐の島町竹島官有無番地
沖縄県石垣市字登野城2392番地
(↑尖閣諸島・魚釣島)
東京都小笠原村硫黄島
東京都小笠原村沖ノ鳥島1番地
東京都小笠原村沖ノ鳥島2番地
東京都小笠原村南鳥島

沖縄県石垣市字登野城2392番地←イマココ!


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